理事長挨拶:IADP2013

From your President

まだ間に合う
小谷英文 Hidefumi Kotani, Ph.D. CGP  

「天よ、我にスリーハンドレッドを」、2011.3.11以来の私の思いである。
国が動かず、『フクシマフィフティー』は最大限の仕事をした。それでも白虎隊の悲劇を見ないに徹するこの国である。言い過ぎだろうか。フクシマフィフティの仕事はその後,どう引き継がれているのか。
 救急時の標語「心のケア」のまま、そこから一歩も前へ出ない心の対策不能も、誰も見ようとはしない。PTSDは顧みられることがないままである。  
 船橋洋一著「カウントダウン・メルトダウン」は、世界の明日を奪うに十分な放射能禍に対する最悪の日本型リーダーシップを白日の下に晒した。明治維新以来の、責任者不在のリーダーシップは、文字通りに歴史的トラウマである。  
 放射能禍対応は何も終わっていない。PTSD対応は始まっていない。PTSDが潜行するかどうかの震災後7ヶ月8ヶ月時、「宮城駐在新聞記者が、東北は地の絆が強いので問題はもうないですよ」と、取材することもなく言って退けた。震災後1年、1年6ヶ月、2年を経た今も、我が学会の分隊『PTSDセブン』は、仙台—石巻臨床でPTSD処方に追われている。危機意識を持って仙台で学会年次大会を持ち、国際トップエキスパート達を呼び寄せ、PTSD予防から治療へ繋ぐ大ワークショップを2度にわたって開いた。国内学者は揃って絆の記者と同じく文化が守るとしか言わない。東北の人々は、とりわけ福島人は、苦しみを人には見せない、と誰もが言う。私もヒロシマ人として、3.11までそうであった。この自分に被爆二世禍が残っていようとは夢にも思っていなかった。60年を経ての沖縄の人々の痛み、ずしんと来た。見ざる聞かざる言わざるで、PTSD禍は決して通り過ぎていきはしない。  
 フクシマフィフティの気概は、PTSD禍をも払拭する底力を伝えた。その気概を持って、大人だけでなく子供たちの隅々まで、60年後にまで痛みを据え置かないで、見よう、聴こう、語ろう、触れよう、痛みを力に変えるまで。  
 ノーモアヒロシマ、オキナワ、そしてノーモア白虎隊の危機は、今ある。  PTSD対策がここまで何も成されていないことは、世界の目からは信じ難い。私はこれを決して『文化』の故とは言わせない。人災である。  
 人災であるなら闘いようがある。PTSDとの闘いは盛り返すことが出来る。何も始まってはいないこの闘いを始めればよいのである。学問も科学もここまで政治と経済のパワーの前に無力のままである。今必要なのは科学実行者である、思想実行者である。そしてあらゆる分野の真のリーダーである。  
 押し出そう真のリーダーをフクシマから、世界に希望の火を灯すために。  
 『天よ、我に臨床スパルタン スリーハンドレッドを与え賜うや』

理事長プロフィール

1948年広島県広島市生まれ。博士(心理学)。専門は、精神分析的心理療法、困難患者心理力動/技法。広島大学助手、アデルファイ大学高等臨床心理学研究所客員研究員、広島大学助教授、国際基督教大学教授、同高等臨床心理学研究所創立所長を経て、現在PAS心理教育研究所理事長。国際集団精神療法集団過程学会元理事。現 同学会国際トラウマ/災害対策特別研究班員。集団分析的心理療法国際協会創立教授。ライオンズクラブ心の復興プロジェクト:震災復興心理・教育臨床センター臨床オーガナイザー、福島心の復興支援協議会オーガナイザー。主著に、『Creating Safe Space through Individual and Group Psychotherapy』『現代心理療法入門』『ダイナミックコーチング』『カウンセリングとガイダンス』『集団精神療法の進歩(近刊)』他。