開会講演・大グループ(専門家向け)

「災害・外傷・専門の貢献 」

  大会会長:小谷英文(国際基督教大学 教授)

 言語:日本語・英語(通訳がつきます)

<内容紹介>

巨大な自然災害というものは、人災と無縁という訳にはいかない。人々は瞬時のうちに自分自身が破壊される怖れと同時に、慣れ親しんでいる世界が破壊される怖れを体験し、心的外傷に晒される。そのような状況の中でも、人々はお互いで助け合うことに英雄的な犠牲を払う。被災を免れた地域から被災者の踏ん張りに応えようとする支援活動も次々に展開される。実際に、東日本、とりわけ東北の人々は、これまでの1年半というもの、普通の生活に向けての復興を目指し、とてつもない踏ん張りを見せている。その事実を誰も否定することはできない。誰もが最大限の努力を重ねていながら、我々はまた我々自身による人災から逃れることもできない。企業論理の「共謀」による深刻な原子力発電所の問題が、大変な災害と心的外傷を生んだ。専門のサイコロジストとして、精神分析家、精神科医、看護師、教師あるいは行政者として、我々の多くは、今や我々自身が自然災害被災者から災いをもたらす侵入者と看做されることもあることを自覚している。事実、我々の献身的な支援活動に伴う多くの人間的過ちもまた、被災者に二次災害もしくは三次災害をもたらす。さらに支援の専門家もボランティアもまた、自身の善意の、しかし過った行為によって傷つきもしている。

私自身が直面している別の問題もある。人々の被災地域の捉え方である。被災地とは、何だろうか。被災地とは、津波が押しよせ多くの人々をさらっていったのを見た生存者達が住む場所のみを指すのだろうか。あるいは福島の原子力発電所の20km圏内のみを指すのだろうか。私は二週間ごとに、無料の震災心理・教育センターで30人あるいはそれ以上の人々に会うが、そこを訪れる方々はそれぞれの傷つきがあるにもかかわらず、自分自身の被災体験をなかなか語ろうとはなさらない。「私の経験は小さなことで、そんな話をするのは申し訳ない気がしてます。3月11日、私は地震には遭いましたが沿岸部にはいなかったので。」涙をいっぱい溜めて初めて自分自身の経験を語った後でさえも、自分自身が痛んでいることをなかなか認めようとはなさらない。自分自身の痛みを抱え、そして多くの人の力になりながら、二次被害、三次被害を被ったまま、必要な心のケアを受けていない方々が非常に多い。

原爆投下後に広島の町に降り注いだ「黒い雨」は、原爆被災地域のとりわけ目立った印であったが、この黒い雨の影響を受けた地域は、今なお議論の中にあり解決に至ってはいない。ここにもまた人災にさえ至る、人が産み出す問題の難しさがある。

このような状況下の心理学的問題に、専門の力は欠かすことが出来ない。「原子力ムラ」の仕儀が専門家の信用を失墜させたように、被災の現実の凄まじさは専門家の貢献の信用性も傷つきやすいものにする。
未曾有の震災がもたらしている心的外傷に対して、専門の貢献を果たしていく多大な困難と可能性を分かち合う時である。この重要な時にこそ出来る学術的、臨床的蓄積の検討を重ねるために、今行き当たっている課題を分かち合う大グループから、本大会を始めよう。