プログラムディレクターより:開催趣意

国際力動的心理療法学会(IADP) 特別研修プログラム
10人の先達との対面−力動的事例スーパーヴィジョン

 

「心理療法家/精神療法家がいない」。

 

 先の大震災の不測の衝撃、とりわけ、目に見えない、いや見ることを避けられ続ける心的外傷(トラウマ)の問題は今なお深刻です。被災地で、避難先で、そして、あらゆるところでPTSDの潜在患者が増え続けています。特に、福島における自殺も含め、2000人に到達しつつある震災・原発事故関連死、さらには、震災時に幼稚園・保育園児だった子どものPTSDの可能性が25.9%という厚生労働省調査から、その深刻さは容易に読み取れます。しかし、行政主導のケアセンターやNPO、NGOの奮闘にも関わらず、なぜ心の復興は停滞し、PTSD問題への本質的対応がなされないのでしょうか。われわれは、大災害PTSD(災害神経症)に即応できる、あるいは対策リーダーシップのとれる心理療法家/精神療法家の絶対的不足にその解を見出しました。被災地における現場対応臨床実感です。災害中長期にこそ、見えない心を可視化し、雪だるま式に積み重なり続けるストレス環境の中でも、自分の人生を充実させる心の力を高める心理療法の出番なのですが、その存在感が東北において全くに失われています。

 国際力動的心理療法学会(International Association of Dynamic Psychotherapy、以下IADPとする)の設立者・理事長の小谷は、3.11の直後に当時の所属大学である国際基督教大学の高等臨床心理学研究所でホットラインを開設しました。さらに、上述の問題意識から、半年後に宮城県仙台市の宮城学院女子大学内に「震災復興心理・教育臨床センター(通称、EJセンター)」を立ち上げました。また、IADP事務局長の橋本は、「放射線神経症」が色濃く残る福島県郡山市に、災害中長期にこそ欠かせない力動的心理療法をいつでも受けることができる無料クリニック、「福島復興心理・教育臨床センター」を2013年9月に設置し、EJセンターと共に、現在まで活動を続けています。われわれIADPは、その2センターの活動をバックアップし、2012年から3年連続で、被災地(仙台大会と、郡山大会を2回)において年次大会を実施してきました。今回の特別プログラムに講師陣として名前を上げさせていただいた先生方には、さまざまな形でこの問題認識を共にしていただき、多くのご協力を得ました。

 震災から5年が経とうとしている今、被災地の心の問題は、自殺のみならず、重い抑うつ反応、MUPS(医学的に説明不能な身体症状)を含む身体化、アルコール・薬物依存、犯罪までおよぶ行動化、DV、そして、不登校、引きこもり、発達障害を疑われる子どもたちの増加として、さまざまな形で噴出しています。しかし、その問題の奥に沈む大震災トラウマは全くにトリアージ・アセスメントがなされず、別の問題として処理させる現実が日々重くのしかかっています。この被災地において先鋭化している問題は、震災前からすでに日本に蔓延していた問題であると、われわれと活動を共にする福島のある企業人が喝破しました。「心理療法家が言う被災地の問題は、もともと抱える日本に生きる人間社会の行き詰まりではないか」と。この危機にこそ、国民病と言われる「うつ」、引きこもり、虐待、DV、依存症の問題、それだけではなく、人間や社会の成熟性を扶けることができる心理療法/精神療法の意味を伝え、普及し、何よりこの仕事を確かに伝える指導者を養成するチャンスがあるのではないでしょうか。

 このわれわれの精神は、熊本大学医学部教授であり日本の精神看護を牽引する宇佐美しおり先生に届きました。宇佐美先生に大会会長をお引き受けいただいたIADP第21回年次大会(2015年11月、於熊本大学医学部)は成功裏に終わり、精神医療における「うつ」からの乱れによる自傷・他害の問題に対する危機対応を日々行うCertified Nurse Specialist(CNS)の領域に、力動的心理療法の必要性が深く認識され、新たな研修・訓練システム構築の動きが始まったところです。

 ここまでの展開をふまえ、IADPは、力動的心理療法の普及、そして指導者を養成する強い使命感から、年に1度の年次大会に加えて、学会主催の新しいプログラムを企画することといたしました。月1回の力動的事例スーパーヴィション演習です。心理療法/精神療法の領域を牽引されてきた先達の先生方に向き合い、そのエッセンスをスーパーヴィションの仕事から学び取ろうという企画です。IADPの会員のみならず、初学者の大学院生からベテランまで、学派や職種を越えて、精神分析、力動論、そして何より心理療法/精神療法に関心のある方を対象として、心理療法のパワーと魅力、さらには専門家としての育ちの厳しさと喜びが伝わるようなプログラムになればと思っております。

 診断や、問題のラベルのみが貼られ、その人の人生と心の内奥にある真実(Truth)に目を向けた本質的対応がなされないグローバル危機に、改めて、力動的心理療法の意味を問い、その普及の新たな一歩をと思っております。10人の先達のお力を借りて、広く、深く心の専門家の皆様の気骨に訴えると共に、本プログラムへの積極的な参加を呼びかけたいと思います。「現代の心の迷妄に、もっと心理療法を」と。

 

橋本和典
国際力動的心理療法学会事務局長・第22回大会会長
国際基督教大学准教授
福島復興心理・教育臨床センター代表